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代表酒井秀樹の「今、こう思う」9

学長の「今、こう思う」

酒井 秀樹(さかい ひでき) <プロフィール>
株式会社 名大SKY 代表取締役社長
有限会社 アンイングリッシュクラブ 代表取締役社長
一般社団法人 ちいさな成功体験推進協会 代表理事
その他団体の役員を歴任
名古屋大学 理学部卒 

名大1年の19歳(1988年6月)に同級生3人で家庭教師センター「名大教育研究会」、同年8月に学習塾「SKYセミナー」(現:名大SKY)を創業。「創業資金1万円」がある意味自慢。バブル崩壊・平成金融恐慌・リーマンショックによる、失われた20年を試行錯誤・苦労と工夫を重ねて、現在の50校舎、生徒数4200人に至る。

成長したきっかけは、1997年直営校で映像授業による自立指導「IT個別」を始めたこと。2000年外国人講師による英会話事業に参入したこと、2010年そろばん事業に参入したこと。

そして教室を出来るだけ賃貸ではなく自社物件にて取得したこと。

夢は大学時代から今まで一貫して「新聞の株式欄に自分の会社の名前を載せること」夢実現のためには新聞というメディアが無くなる前に株式公開をしないといけないと焦る毎日です

代表酒井秀樹の「今、こう思う」9

 前回、前々回と失敗の話ばかりをしましたが、失敗の度にしっかりと対応したからでしょうか。そんな失敗の連続の私でしたが、それでも生徒が多数集まり3DKのマンションの10.5畳の教室では手狭になりました。

 
 当時は個別指導塾が少ない時代でクラス指導塾の全盛期。しかしうちは狭い教室に黒板が無い塾ですからクラス指導は無理でした。
 
 私は小さいころからいろいろな塾に通ったんですが、なぜか当時は珍しかったはずの個別指導塾や自立指導塾にもいくつか通いました。その時の経験からひとり一人に合わせて指導してあげたいとの思いから「1:3」指導の個別指導教室を立ち上げました。
 
 うちの「1:3」の個別指導は、今では御法度「座卓」に座らせるタイプの個別指導でした。(狭いので効果的に部屋を使うことが出来ました)180㎝の座卓に生徒3人をすわらせて、その向かい側に先生がすわって、計算用紙に書きながら個別に教えるというスタイルです。
 
 そんな塾でしたが、当時は高校生を教える塾は予備校くらいしかなかったこと、名大生が個別に教えてくれることから評判が立ち、当初は中学生をターゲットに塾を開校したのですが、紹介や口コミで高校生の入塾が多数ありました。
 
 そこで開業から9か月目で近くの1軒家を追加で借りました。6畳4部屋の建物でした。(バブル期だったこともありますが、当時の本山はビルが少なく空き事務所は全くありませんでした)追加で借りた教室は昔ながらの長屋スタイルで、壁の向こうは隣の家でしたので、お隣さんからはよくうるさいとクレームが来ましたが、その度にお菓子をもって謝りとお願いに行っていました。

 
 元の教室を中学部、新しい教室を高校部にしました。自転車で5分くらいの距離でしたので、講師は10分間の休み時間に行ったり来たりして指導を行っていました。高校生と中学生の教室を分けたことで、専門性も強く打ち出す事も出来たようで生徒募集はさらに順調に進みました。しかし教室を分けたことで管理という業務が一つ増え、それが大変なんだという事に気づくのはもっと後の事です。

 
 当時のスタッフはクラスメイトがほとんどで、みんなよく頑張ってくれたこともあり問題はありませんでしたが、しっかり管理しないとサボったり、手を抜く講師が出てくるのは当たり前の事です。
 
しかし当時の私は「性善説」でみんな任された仕事を全力でこなすものだと考えていました。今ではそんな考えは全く持っていませんが・・・(笑)

 

ポイント11「管理が大切」

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