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教育評論家・後藤武士先生コラム
第二回 大手塾が真似できない手法

2008年 11月 7日

takeshigoto1web<プロフィール>
青山学院大学法学部卒。日本全国授業ライヴ (GTP) 主宰。学部在学中に東京・神奈川にて大手予備校勤務。大学院在籍中に名古屋にて起業。現在は日本全国授業ライヴと称して学問の楽しさを伝道するため全国を行脚中。北は北海道札幌から南は九州沖縄石垣島まで講演、授業ライヴ、そして執筆の日々。
そして、主婦10万人のサイト「キャリアマム」にて教育相談、教育エッセイ連載、毎日中学生新聞(毎日新聞社)で「やさしい読解力」連載、同じく「悩みの宝石箱」の相談員をつとめるなど執筆活動以外にも様々なメディアで活動。

第二回 大手塾が真似できない手法

今更言うまでもなく個人塾(ここでは規模の大小に関わらず塾長のカラーが鮮明でかつそれが消費者に対し前面に出されている塾を個人塾とする)にとって大手塾は天敵である。

何せ規模がちがう。いくらこちらが実績を出しても、あちらは規模で攻めて来る。パーセンテージでは勝つことが出来ても、最上位校の合格者数などといった絶対的なわかりやすさを持つ数字を出されるとなかなか親御さんを説得するのも容易ではない。スケールメリットは広告宣伝費にも及ぶ。同じ地域に1回のチラシをまくのに要する費用にはさほど差がない。となれば生徒から徴集する授業料に対する広告費にまわす分の割合というのは、生徒数が多ければ多いほど少なくてすむようになる。同じ割合で広告費を使うなら当然額に差が出るから、その分あちらのほうが露出度が高い広告活動が可能である。

さらに厄介なのは最近の大手はフットワークも決して重くないという点。以前ならば学区、学校ごとの定期テスト対策だの、内申対策だのというのは大手は手を出さなかった。個別ですら大手の苦手分野であり、その頃は個別ではなく「少人数制」というのが個人塾の売りになっていた。今から思うと隔世の感がある。どんなに隙間をつくニッチ商法を考えても、最近の彼らはすぐにそれを取り入れてしまう。こちらは全身全霊を傾けて商品開発しているのに、あちらは自塾のスタッフの数人をその分野に割り当て、専門的に対処させる。これでは体力的にかないっこない。戦い続けたら先にこちらが倒れてしまう。

それでは彼らが進出してきたときに対抗する術はないのだろうか。大手塾が進出してきたら、もはや職を変えることを考えるしかないのだろうか。

答えは否である。個人塾には個人塾のメリットが存在する。大手ではなかなか真似できない手法というのがあるのである。もったいぶってもしかたがないのでズバリお話しする。その答えは「固有名詞」にある。大手塾というのは経営陣と教務陣がそれぞれ別々に機能している。規模によるスケールメリットとシステムを売るのが大手である。つまり大手は人を売るのではない。大手は人を売ることが出来ない。なぜならば大手の経営陣にとって一番嫌なのは自塾の教務スタッフの独立である。個人塾ならばのれんわけのような形で円満にできるものも大手ではそうは行かない。独立を見逃したら次々に続くものが出てくる。これは大手塾の壊滅につながる。実際に親や子供と接しているのは教務スタッフだから、その点でも経営陣にはディスアドバンテージがある。もちろん実際は経営陣あってこその教務スタッフなのだが、一時的に彼らの方に生徒が取られてしまうのだから、そんなことを言っても意味がない。もし彼らが勝手が違って経営に失敗しても、自塾出身者なのだからそれすら彼らだけでなく自塾の評判にさえ響く。だから大手はスタッフの異動を頻繁に行う。講師や校長名を前面に出した固有名詞戦略は出来ない。そこが大手のアキレス腱だからである。(学校法人クラスになると有名講師を売りにできるが)

相手が出来ないこと、しかもこちらは得意分野。これはもうやらなければ嘘だろう。塾長の顔を前面に出せばいい。指導法に○○方式とネーミングするのもいい。テレは無用だ。自作の教務用プリントや補助テキストにはきちんと名前をつけよう。「○○塾の」とか「○○塾がお贈りする」などというまどろっこしさはやめ。「の」などをつけた段階で後ろの部分が一般名詞化してしまう。固有名詞を前面に出して堂々とカラーを打ち出せばいい。その色を嫌う生徒や親御さんもいるだろうが、そんな人たちはそもそもあなたの塾には向いていない。大手が進出してこなかったら通信添削を選んでいた人たちだ。はじめから考慮しなくていい。 

誰もが知っているあの静岡発祥の大手塾。あの塾の塾長がかつてどうしてもつぶせないと言っていた塾が存在した。その塾の名前は「○○(塾長の名前)塾」
究極の固有名詞商法と言えるだろう。

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