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代表酒井秀樹の「今、こう思う」5

学長の「今、こう思う」

酒井 秀樹(さかい ひでき) <プロフィール>
株式会社 名大SKY 代表取締役社長
有限会社 アンイングリッシュクラブ 代表取締役社長
一般社団法人 ちいさな成功体験推進協会 代表理事
その他団体の役員を歴任
名古屋大学 理学部卒 

名大1年の19歳(1988年6月)に同級生3人で家庭教師センター「名大教育研究会」、同年8月に学習塾「SKYセミナー」(現:名大SKY)を創業。「創業資金1万円」がある意味自慢。バブル崩壊・平成金融恐慌・リーマンショックによる、失われた20年を試行錯誤・苦労と工夫を重ねて、現在の50校舎、生徒数4200人に至る。

成長したきっかけは、1997年直営校で映像授業による自立指導「IT個別」を始めたこと。2000年外国人講師による英会話事業に参入したこと、2010年そろばん事業に参入したこと。

そして教室を出来るだけ賃貸ではなく自社物件にて取得したこと。

夢は大学時代から今まで一貫して「新聞の株式欄に自分の会社の名前を載せること」夢実現のためには新聞というメディアが無くなる前に株式公開をしないといけないと焦る毎日です

代表酒井秀樹の「今、こう思う」5

 仲間の理解と協力により学習塾開業することができました。おかげで事務所と専用電話とお風呂を手に入れることが出来ました。若い先生方は、「電話」「電話」って何言ってるんだ思うかもしれませんが、1988年当時は電電公社が民営化されNTTになったばかりの頃で、電話を引くためには「電話加入権」というものを購入する必要があり、10万円近くかかりました、もちろん携帯電話なるものは高嶺の花も高嶺の花で手に入れるのも20万円近くかかり、通話料もバカ高く検討対象にさえならない時代でした。

 

 ここで最初の教室について説明させていただきますと、3DK(6・6・4.5・4.5)という広さのマンションで名古屋でも有名な広小路という大通りに面しているマンションで立地も良い場所でした。4.5畳の部屋を自分の部屋に、キッチンを事務所&講師室に、残りの部屋を教室にしました。

 

 教室には2本の会議用テーブルと3本の座卓を入れました。(今では絶対アウトですが、当時はイスでなくても大丈夫だったんですね・・・。)ホワイトボードはありましたが、当然のことながらコピー機はありません。(必要な時は近くのコンビニまでダッシュをしていました。)

 

 備品は基本的に中古でそろえました。教材も現金取引ではありましたが取引先を確保できましたが、生徒募集には苦労しました。9月にOPENして、家庭教師から引き継いだ生徒以外の純粋な新規の生徒を獲得できたのは10月中旬までかかりました。
 

 家庭教師の時は「名大生が教えます」というフレーズが効いてすごい反響があり、適当であったであろう電話対応でもたくさんの仕事を獲得する事が出来たのに、チラシをポスティングしようが、校門配布をしようが、新聞折込をしようが全く反応がありませんでした。
 

 何がいけなかったのか、今から思えばダメなとこだらけで理由もわかりません。チラシはモノクロ。ワープロづくり。(当時のワープロは大きな字を印字するとギザギザが出るので手書きでギザギザを修正していました。)もちろんマンションの外には看板なし。

 

 だけど一番良くなかったのは。授業料と指導スタイルだったのではないかと考えています。塾といえばクラス指導しかないような時代に、私が提案したのは自立学習「分からないところ教えます!5教科通い放題1万円」(マンツーマン指導や家庭教師は別途)というものだったのですが、名古屋大学のふもとの本山という名古屋有数の文教地区では、授業料が安すぎ胡散臭かったのでしょう。個別指導というものも普及していなかった時代ですから、自立指導なんてうまく理解されなかったのかもしれません。もっと郊外で開業していたら違った結果だったかもしれませんが・・・。

 
ポイント6「やっぱり価格は大切。立地とのバランスも大切」

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