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小笠原先生の「明日の空(Tomorrow’s sky)に向かって」88

小笠原先生のコラム

小笠原先生

小笠原 隆政(おがさわら たかまさ) <プロフィール>
塾ミシガン高知 代表
・1985年 米国ミシガン大学の語学理論を用いた英語・英会話教室を開設
不変の語学理論(聴・話・読・書)の応用実践教育を展開
学習時間が自由に選べてキャンセル、変更が自由にできるチケット制を導入
・2004年 英語教室では大変成果があがり、多くの方に切望されていた総合塾に改編
パソコン教材も導入し、他の科目も語学理論に沿って立体的に応用指導
・2015年 教室創立30周年名大SKY連載コラム「明日の空に向かって」の執筆開始
教室が英語の四技能を測れるCBT検定の「GTEC」検定会場に認定される
大きな塾よりは自分の目の届く範囲での直接指導塾にこだわって経営している

小笠原先生の「明日の空(Tomorrow’s sky)に向かって」88

十数年前ある秋も深まった土曜日の夜8時過ぎ、塾の授業も終わり後片付けを始めた頃に
「すいませ~ん」と入り口から声が聞こえた。生徒の保護者が来たのかと思ったら玄関先にいたのは、着物を着ている年配のご婦人と、中学生くらいの女子生徒だった。
「塾の事でお聞きしたいと思いまして遅くに失礼しました。近所に住んでおりますからだいたい土曜日は今頃には授業が終わって帰る塾生さんを見ていましたので、今の時間でしたら授業の邪魔にはならないかと思いまして・・・」と大変丁寧な話しぶりのご婦人で、一緒の女子中学生は多分お孫さんと思われた。

早速教室入ってもらい話を聞くと、中1のこの9月に県外から転校してきたが言葉や学校になじめず、すぐに不登校気味になったとの事。話している着物のご婦人は、たまに近所で見かけた事があったので詳しく聞くと、その方の息子さんが県外で仕事をされていたが、昨年のリーマンショックで自営の会社が経営不振になり生活が大変になったので、娘さんを一時郷里のそのご婦人(祖母)が預かっているというのである。一通り話が終わり少し体験授業をしてみた。その間祖母の方には自宅に帰ってもらい、約1時間後に迎えに来てもらう事にした。一番英語が分からないとのことで今やっている内容を復習してみたが、県外の中学ではbe動詞から始まるのではなくて一般動詞から始まる教科書を使用していたようで、分からなく感じたようだ。それで今までの英語が、どれくらい分かっているか問題をやらせてみると、結構理解しているので少し安心し、be動詞との違いを説明しながら教科書を復習したのである。単語も良く理解できていて、きちんと理解できれば英語は問題ない生徒とわかり体験授業は終わり、その祖母の方に「教科書が違って少し分からないくらいですから、まったく心配ありません。お任せください!」と報告し、その子の授業が翌週から始まったのである。
授業では少しでも高知に慣れるように、できるだけ土佐弁を使い説明をしたが、使っている動画教材が標準語なので、その生徒には心理的に楽だったようだ。そして今でも着物を着て、かくしゃくとされている婦人のお孫さんだけあって時間は正確で、机もきれいにして帰り、教室の習慣である最初と最後の挨拶もきちんとできる生徒であった。クラブもやっていないので、塾の暇な夕方の早い時間に近所から来るので、一人だけの授業の時もあり素朴だが難しい英語の質問をする事もあったのである。

英語の単語の複数形の授業をしている時に単語の後にsやesを付け、日本語に訳したら車は台になり生徒は人(にん)になり、鉛筆は本になる事に大変迷っていたのだ。理由を聞くと、英語の単語のどこでそんな言葉が表されているかというのであった。その数詞への質問に少し驚きながら「すごいことに気が付いたねぇ~!」と褒めたのである。「そうだねぇ~、英語のどこの部分でその数の訳が表しているかは、英語は全部一緒の言い方しかないから日本人が訳すときに勝手に車は台、生徒は人、鉛筆は本と付けているだけなんだ。だから外国人の人は最初日本語のそんな事が分からない時は全部「つ」を付ける事が多くて、
車がいくつあるのですか、とか鉛筆を3つ持っているなんて言ってしまいがちなんだ・・・」と説明すると大変驚いていたが、英語の面白さの様なものは感じたようであった。
塾の授業にもなじみ1年後には、トップクラスの成績が取れるようになったから、塾長の私も内心その子の成長にうれしさを感じていた。「お父さんはおばあちゃんの歳がいってからの子で、亡くなったおじいちゃんもお父さんにはすごく厳しかったから、お父さんは大学済んで高知には帰らなかったんだって・・・」そんな世間話までできる間になっていたのである。

2年生の2学期も終盤でそろそろ進路の話を始めようかと思っていたら、再びその婦人と女子中学生が週末の夜に教室に来て「先生には本当に今までお世話になりました。息子の事業もようやく軌道に乗り、家族全員で暮らせるようになりました。学校も3学期から地元の学校に戻ることになりましたので、申し訳ありませんが塾も2学期で辞めるようになります。学校に元気で通えるようになり、分からなかった英語が一番良い成績になったと孫も喜んでおります。おかげで英語の先生になりたいというほどになりました!」
(優秀な生徒の退塾は突然やって来る)と先輩塾長から聞いたことがあったが、この生徒には大変良い話で塾長の私には、顔で笑って心で泣く展開であったのだ。年が明けその着物の婦人も見かけなくなり、その生徒からは毎年年賀状が届くようになったのである。高校にも無事合格してそして高3卒業の春には、希望大学の教育学部に合格したとのその大学のある街の絵ハガキが届いていた。あれから続けて指導していたら、その年の大学進学者数は増えていたのに・・・・とも思いながらも、最近彼女からの連絡はない。多分今は、どっかの中学か高校の英語の先生をやっているのだろうと思い出しながら、教室に貼ってあるその子から昔届いた大学の街の絵葉書を眺めていたのである。すると、「先生・・先生・・・」と生徒が呼ぶ声が聞こえた。日が短くなってきた晩秋の頃、小さな教室で相変わらず少ない生徒達に今日も塾を続ける私であった。

To be continued・・・・

(追伸)ユーザー皆さんのお話も時々載せたいと思います。それで約800字以内程度で先生方の経験談を募集したいと思います。塾経営で困ったことと言えば、今ならコロナ禍で生徒が集まらないとか、永遠の塾の課題として、生徒の成績がなかなか上がらないなどの話になるかもしれませんが、そんな話でも構いません。その問題をどのように乗り越えてきたかとか、そんな問題で溜まったストレスの解消法など教えていただき、皆さんにご紹介したいと思います。よろしくお願いします。

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名大SKYコラム担当 塾ミシガン高知 小笠原隆政

 

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