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教育評論家・後藤武士先生コラム
第四回 残すことを考えよう

2009年 3月 1日

後藤武士の教育コラム

<プロフィール>
青山学院大学法学部卒。日本全国授業ライヴ (GTP) 主宰。学部在学中に東京・神奈川にて大手予備校勤務。大学院在籍中に名古屋にて起業。現在は日本全国授業ライヴと称して学問の楽しさを伝道するため全国を行脚中。北は北海道札幌から南は九州沖縄石垣島まで講演、授業ライヴ、そして執筆の日々。
そして、主婦10万人のサイト「キャリアマム」にて教育相談、教育エッセイ連載、毎日中学生新聞(毎日新聞社)で「やさしい読解力」連載、同じく「悩みの宝石箱」の相談員をつとめるなど執筆活動以外にも様々なメディアで活動。

 ちょっと回りくどい話からスタートしますがご容赦のほどを。

人類が他の動物と比較して圧倒的な文明を築くことができたのは、間違いなく言葉の発明の恩恵でしょう。生後獲得した資質は遺伝しないとか、知識や経験も本来そうしたもので、かつての人類は物心ついたときから成長を続け、経験を重ね、知恵をつけ、けれどその生涯を終えるとき、それを伝える術がなかったために、それらはその人の死とともにこの世から消滅し、また再び次の世代はもとのところからスタートし、同じことを繰り返すしかありませんでした。世代間を越えての体験や経験や知恵の共有がかなわなかったのです。しかし、言葉が生まれるとそれが可能になり、前世代の経験等はそのまま後の世代の財産となるように変わりました。その結果後の世代のスタート地点も、先の世代が途中まで引いてくれた道筋にのっかることができるようになり、わずか数十年という寿命の壁を乗り越えて、人類はここまで発展してくることができました。

もうおわかりですね。塾も同じです。きちんと記録を残しておけば翌年は少し楽になり、その次の年はさらに楽になります。楽になった時間を他のことに回したり、あるいはヴァージョンアップに向けての努力に使うこともできるようになります。「残す」ということは非常に大切なことなんですね。

ところが多くの塾長は残すことにあまり関心がありません。というより普段あまりにも忙しすぎて、残すことまで考えていられないというのが正解でしょう。また昨年の資料を探してくるよりは新しく作ってしまったほうが早いという塾長も少なくありません。確かに塾長を務められるくらいの人材ならそれも言えるかもしれません。でもその場合は改良をあまり伴わない同じものが作成される可能性が高く、またその同じものを作成するのに同じだけの時間を浪費するのももったいない話です。

逆に「さっさと作ったほうが早い」という塾長さんほど、残すことに目を向けたら大きなアドバンテージがあるような気がします。すぐに作れるだけの力のある方がその力をそのままある程度でき上ったステップに乗っければ当然成果は上がりますよね。

ではいったい何を残せばよいのでしょう。私は教務にかかわるものも経営にかかわるものも、どちらも残せるものは残すべきだと思っています。卒塾生の名簿など一部個人情報保護法に触れる場合もありますが、それ以外なら問題はないでしょう。

たとえば教務。オリジナルのテキストを作成したいと思っている塾長は多いことでしょう。でもなかなか手が回りません。補助教材ひとつとっても毎年同じような時期に同じような切り貼りをしている塾長は少なくないはずです。この「毎年同じような時期に同じような」こそポイントになります。塾の仕事は教務にしろ経営にしろ、ベースとなる部分は年単位ではルーティンな部分が大きな仕事です。ならばそれを逆手にとって時期別に分類・保存しておくのです。PCならば「09年2月」などのようなファイルを作成し、その時期に作ったものはそこに保存しておくようにする。紙媒体やその他ならば、かつて一世を風靡した『超整理法』ではありませんが、大きめの封筒に同じ月に作成したものを分類保存しておく、あるいはキャビネットの棚に収めておく。これだけで翌年以降ずいぶん違うはずです。授業のたびに補助教材を作成しているような塾長ならば、一年を通せばその補助教材を集めるだけで一応オリジナルのテキストになります。製本しなくても簡単な表紙を付けて、ホチキスどめするだけでもそれなりのプレミアム感は出てくるでしょう。もっともそれが切り貼りによるものならば、自塾レベルではオリジナルと言えますが、外へそれを謳うと著作権の侵害になってしまいますからそこは気を付けてください。

 本格的に外にも売り出したいのなら、一から自分で作る必要が生じます。そこまではとても手が回らないでしょうから、スマートボードなどの電子黒板を利用するなり、授業の録画・録音をするなりしておいて、後から授業の中の自分のオリジナル部分だけを抜粋し編集するのもよいでしょう。このときのお勧めは生徒の中で板書をうつすことが上手な生徒のノートをコピーさせてもらうことです。これならば授業が終わって雑用が片付いて、それからもう一度まとめをやるという荒行に臨む必要もありません。

経営に関しても同じです。申告の時期も募集の時期も、講習のプラン作成の時期も基本的には変わりはないはず。ならば時期別のストックをしておけばかなり楽になるはずです。

最近は自分の授業をDVDに残す先生も増えました。これは悪いことではありませんが、ひとつだけ注意が必要です。まず個別では基本的に難しいということ。個別は一斉に比べ、授業内で取り扱う話題の広さが増しますし、よりよい先生ほど生徒に密着に関連した話し方になりますので汎用性には乏しくなります。またプライバシーの問題もあります。一斉でも録画するとなると、ある程度の犠牲は出ます。まず録画を意識すると生徒が硬くなります。気軽な冗談も言えなくなりますし、自信のない発言は控えるようになってしまいます。要は委縮しちゃうんですね。教える側も同じです。無意識のうちにつかみとしてはおいしい時事ネタなどを避けるようになりますし、個人名などなるべく言わないようになるために当てる回数が少なくなったり、講義の時間を増やすために演習時間が減ってしまったり、これでは本末転倒です。ですから月に一度くらいはそのままの授業の収録も必要でしょうが、それ以外は収録用の授業は通常の授業と分けるほうがよいでしょう。私の場合はできる限り講演の録画を心がけていますが、それでも生徒のレベルや当日の雰囲気などで控えることも少なくありません。カメラが回っているのといないのとでは生徒のノリは明らかに違いますから。そのあたりの感覚は肌で感じるしかないのですが、みなさんでしたら大丈夫でしょう。

さて今回は長い話になってしまいました。残すというテーマのお話でした。具体的なご提案としては「時期別の分類」がカギでしたね。少しでも参考にしていただけたら幸いです。それではまた。

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