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小笠原先生の
「明日の空(Tomorrow’s sky)に向かって」32

小笠原先生のコラム

小笠原先生 小笠原 隆政(おがさわら たかまさ) <プロフィール>
塾ミシガン高知 代表
・1985年 米国ミシガン大学の語学理論を用いた英語・英会話教室を開設
不変の語学理論(聴・話・読・書)の応用実践教育を展開
学習時間が自由に選べてキャンセル、変更が自由にできるチケット制を導入
・2004年 英語教室では大変成果があがり、多くの方に切望されていた総合塾に改編
パソコン教材も導入し、他の科目も語学理論に沿って立体的に応用指導
・2015年 教室創立30周年名大SKY連載コラム「明日の空に向かって」の執筆開始
教室が英語の四技能を測れるCBT検定の「GTEC」検定会場に認定される
大きな塾よりは自分の目の届く範囲での直接指導塾にこだわって経営している

先日夏期講座が終わり2学期が始まったと思っていましたが、もう10月です。2学期制では前期の期末試験、3学期制では2学期の中間試験があり、塾としては私立も含めると一か月近い試験期間が続き、スタッフや塾長の疲労は、大変なものではないかと思います。

 

昔ある塾長が「受験本番を控えて、これから年末までにスタッフやアルバイトが忙しすぎて突然辞めるケースが一番怖い・・・。」と話していました。生徒が当時120名くらいの塾で傍から見れば塾業としては「成功」していると見える塾でしたが、若い頃に一緒に始めたスタッフは経年とともに家庭を持ち、子どもを養うほど給料が塾では稼げなくなり、当時は景気も良くて数年後には他業種に転職していったそうです。塾を始めたころは経営的な先の事など全く考えずに、とにかく値段競争をして生徒を増やすように、土日祭日も関係なしに夜遅くまで塾を開けて何とか生き残ってきたようですが、競争に流されて経費や家賃そして借入金の返済を差し引くと、自分の生活費を賄うのがやっとだったとかで、何年もスタッフやアルバイトには給料を上げられなかったそうです。

 

独身の若い頃なら、その金額でもよいでしょうが、人間は環境や立場が変わってゆきますから、収入は増えないと生きてゆけなくなるのです。そしてスタッフは休まさなければなりませんから、その分今までのやり方では人手は足りなくなり、塾長が替わって授業をするようになるのです。ですから一か月の間に休みが取れたのが数日だったことが何年も続いたとか、それを聞いて私は一人で塾をできる方法を模索をし始めておりました。というのも私もスタッフを複数抱えて、今よりは大きな塾をやっていた頃には、同じような悩みで苦しんでいたからです。アルバイトですから時給は良いのですが、それで生活できるほどの金額は稼げませんから、必ず辞めてゆきます。募集すれば当時は時給も破格でしたからすぐに人は集まりましたが、授業を任すまでにはなかなか時間がかかります。時にはその養成期間が終わってこれから担任をしてもらう、となった時におめでたとかで、つわりがひどくなり講師を辞めたケースもあります。あまりのショックで私までやる気をなくしたのです。それ以来私は塾を一人でやろうと決心しました。

 

前記の最初の塾長ですが、最終的に心身の疲労から自律神経失調症を患い、精神にまで不安定さが表れ始め結局塾は、10年もしないうちに閉めました。今思えばたいへん優秀でしたが少しまじめすぎた塾長だったようで、自分で悩みを抱え込み仲間と飲みに行ったりするような術を、知らなかったのかもしれません。

 

皆さんはストレス解消はどのようにされていますか、私は塾長会などで県外の旧知の塾長などと飲みながら悩みを思いっきり話して、へべれけに酔っぱらってカラオケで大声を出してストレスを発散させます。あまり見せられたものではないですが、仲間はありがたいですね。

 

今もしその塾長が名大SKYに出会っていたら、ユーザー会にも出席されて、多くの塾仲間とも知り合い、もっと違うやり方で塾経営ができたのではないかとも思います。塾経営には無限のやり方があると思いますが、無理して体を壊しては元も子もありません。どうか無理なくお元気で永くお励みください。

 

To be continued・・・

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