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森智勝先生の「地域1番塾への道」vol.68

森 智勝(もり ともかつ) <プロフィール> 

全国学習塾援護会 主宰、塾生獲得実践会 代表

・26歳で学習塾設立、7教室を経営する。

・平成14年 塾専門のマーケティング勉強会「塾生獲得実践会」設立

・平成18年 「全国学習塾援護会」設立

・現在、全国各地で塾経営者を対象としたセミナーの講演、スタッフ研修に奔走。

全国私塾情報センター主催の「春季大都市縦断セミナー」「地方塾セミナー」に講師として参加。

机上の空論ではない具体的な内容と、参加者にプラスのエネルギーを生じさせる講演には定評がある。今、最も支持されている塾経営アドバイザーの一人。

 

「地域1番塾への道」2020.8月号-説得力(コピーライティング)№1の塾を目指して⑫

説得と納得の関係は表裏一体です。相手(生徒&保護者)の納得を得てはじめて、あなたの説得は意味を為します。相手が納得しなければ、あなたの説得はどれほど正論だったとしても無意味です。それどころか、時として正論は相手を傷つけることになります。

 

例えば生徒から「今のままの成績で〇〇高校に合格するでしょうか」と聞かれたとします。その時、「それはこれからの君の努力次第だね」と答える塾人が多いものです。その回答は正論です。我々は神様でも予言者でもありません。その生徒が合格するか否かを断言することはできません。また、これからの努力次第で結果が変わるのも事実です。しかし…

 
この回答は、質問者の本音を見誤っています。
 

生徒は「合格するか否か」を知りたいのではありません。「私(僕)、不安なんです!」と訴えているのです。その不安に対して「これからの努力次第」という正論を与えても、生徒の悩み(不安)は解消できません。その質問の裏に生徒の不安があると気付けば、あなたの回答も変わってくるはずです。生徒の不安を解消するための言葉を投げ掛けてあげればいいのです。

 

「大丈夫だ。塾(私)の指導通りに勉強して最後まで手を抜かなければ、絶対に君は合格する」

 

こうした話をすると、「そんな不確実なことを断言して、もし不合格だったらどうするんですか?」と聞いてくる塾長がいます。「嘘つき!」と批難されるのではないかと。

 

それこそ大丈夫です。あなたが全力で最後まで生徒の合格に尽力したのなら、非難されたり恨まれたりすることは絶対にありません。非難されるのは、あなたがやるべきことをやらず手を抜いて、その挙句に不合格になった時です。ある塾教師が、志望校(公立)を不合格になった生徒の家庭に謝罪しに行った時のことです。母親に対して塾の至らなさを詫びると、母親はこう言ったそうです。

 

「いえ、息子が最後まで諦めずに頑張れたのは先生のおかげです。先生がいなければ、息子はとうの昔に志望校のレベルを下げて楽をしていたことでしょう。親から見ても、息子はこの1年で随分と成長しました。今度、弟が中学生になります。先生の教室に通わせますので、兄同様よろしくお願いします」

 

これも、形は違えど説得と納得(塾と保護者)の関係を端的に表す事例です。

 

以下の檄文は8月、夏期講習の前半が終了する頃に生徒に送るものです。これを参考に、あなたの思いが届き、生徒が奮い立つメッセージを作成してください。少し長い(A4版2枚)ですが、全文を掲載します。(実物は縦書き)

 


 

高校受験の道半ばにいる君へ「あの日も暑い夏だった」

 

君は今、束の間の盆休みを満喫し、充分に鋭気を養っていることでしょう。そして、この手紙が届く頃には夏期講習の後半戦が始まります。どうぞ、猛暑に負けず元気な姿で登塾してください。

 

八月は日本にとって大きな転換期を迎えた月です。昭和20年8月…6日には広島に、9日には長崎に原爆が投下され、15日に日本は全面降伏し、終戦を迎えました。そうした経過は、テレビ等の報道を通してよく知っていることでしょう。あの戦争の是非は別にして、世界中で多くの人が犠牲になったことは紛れもない事実です。彼らの犠牲の上に今の繁栄があることを忘れてはいけません。

 

特に日本は、敗戦の焼け跡から「世界の奇跡」と言われるほどの復興を遂げました。我々は先人たちの偉大な事績に感謝しなければなりません。

 

ところで、戦後の復興を担った人々のエネルギーとなったものは何だったのでしょう。もちろん、皆さんよりはるかに馬齢を重ねた私でも、当時の人の心の内は想像するしかありません。しかし、私は1つの確信を持っています。彼らはこう考えていたはずです。

 

戦争で犠牲になった人々が、もう一度生まれ変わりたいと思える日本を創ろう。それが彼らを供養し、魂を慰める唯一の道だ…

 

次の文章は私が敬愛する作家、司馬遼太郎氏によるものです。氏の著作「この国のかたち」を自ら紹介した文章です。少し長いですが、全文を掲載します。

 

 

「この国のかたち」について ‐司馬遼太郎‐
 

六部が三十有余年、山や川、海などを巡って思わぬ異郷に辿り着いた時、浜辺で土地の者が取り囲み、それぞれに口をきく。「いずれより参られしか」…そんな狂言があったと仮定されたい。

 

「日本…」と六部が言っても一向に通用せず、ついには様々に手まね身振りで説明し、挙句の果て、砂地に杖で大小の円を描く。さらには三角を描き、雲形を描き、山の如きもの、目の如きもの、心の臓に似たるもの、胃の腑かと思われるものを描くが、人々了解せず、「そのような国、今もありや」と聞く。すでに日落ち、海山を闇が浸す中で、六部悲しみのあまり、「あったればこそ、某(それがし)はそこから来まいた」

 

しかしながら、あらためて問われてみればかえっておぼつかなく、さらに考えてみれば、日本がなくても十九世紀までの世界史が成立するように思えてきた。

 

となりの中国でさえ成立する。大きな接触と言えば13世紀に元寇というものがあったきりで、それも中国にとってはかすり傷程度であった。もし日本がなければ、中国に扇子だけは存在しない。が、存在の証明が日本で発明されたとされる扇子だけということでは、か細すぎる。

 

ともかく、19世紀までの日本がなくても、ヨーロッパ史は成立し、アメリカ合衆国史も成立する。ひねくれていえば、日本などなかったほうがよかったと、アメリカも中国も夜半、ひそかに思ったりすることがあるのではないか。しかしながら今後、日本のありようによっては、世界に日本が存在してよかったと思う時代がくるかもしれず、その未来の世の人たちの参考のために、とりあえず、六部が浜辺に描いたさまざまな形を書きとめておいた。それが、「この国のかたち」と思ってくださればありがたい。(1990年文芸春秋より)

 

ここで言う「未来の世の人たち」とは正に君のことです。そして君は、「この国に生まれてよかったと思える日本」を次の世代に残す責務があります。

 

そのために今、苦しい勉強をしているのです。

 

人と人との絆は同時代の、いわゆる水平方向だけでなく、過去と未来を結ぶ垂直方向にも繋がれていると私は考えます。その交点に「今の君」は存在しています。

 

記録的な猛暑の中、君は本当によく頑張って勉強してきました。しかし、それで了とするのではなく、もう一歩の努力を求めます。平成の大横綱、貴乃花の言葉です。

 

「もう押せない、もう限界だと思った時に、もう一押しする…それが力士を強くさせる!」

 

君も同じです。「これ以上無理だ」と思った時に、あと一歩を踏み出す覚悟…それが限界を突破し、君を成長させる力となります。

 

夏期講習後半戦、限界を突破する一歩を踏み出しましょう。それが先人の思いに応え、次世代の期待に応えることのできる「大人」への一歩になります。

 

今一度、限界に挑め!

 

令和二年八月十三日

〇〇塾 塾長 〇〇 〇〇

 


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